礼拝説教要旨


2010年2月28日
世の初めの物語(6)「わたしたちは、いきものがかり」 田口博之牧師
創世記1章24~28節



同じ日に造られ
  天地創造の第6の日、神さまは地上の生き物と、わたしたち人間を造られまし。同じ日に創造されたことで、動物と人間の創造の違いが浮き彫りにされると共に、人間とが動物たちと深い関係を持って生きていくべきことが示されています。人間は動物たち、そして自然界全体に責任を持って生きていく務めが与えられたのです。
  動物の創造の箇所では、「地は、それぞれの生き物を産み出せ。」(24節)とあります。神さまは動物の創造を、地に向かって「産み出せ」と命じておられるのです。神さまの造られた地が生き物を産み出したということは、すべての生き物は、神さまの恵みの賜物であるということです。他方、わたしたち人間の場合には、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」(26)神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(27)とあるように、何かに命じられたのでなく、ご自分の手で、ご自分にかたどって人を創造されたことがわかります。
  この「神のかたちに似せて造られた」ということは次月に学ぶことにしますが、地に産み出させた動物と、神ご自身の手により造られた人間とでは、創造の仕方だけでも大きな違いのあることが分かります。神さまが責任をもってご自身の手で人間を造られたように、造られた私たちも神さまから責任を与えられているのです。「そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」との御言葉は、神さまは人間にこの地を支配させるという大きな責任、お仕事を与えられたことを示しています。

いきものがかり
  今日の説教題は、ある人気バンドのグループ名から取りましたが、その名前は、メンバーの二人が小学生の頃、クラスの「生き物係」をしたことに由来しているそうです。わたしの頃は、飼育係という呼び方でしたが、神さまは、わたしたち一人一人に、生き物係の役割を与えておられるのです。
  絶滅動物とか、絶滅危惧種という言葉を聞かれたことがあると思います。地球上から毎年たくさんの種類の生き物が絶滅したり、絶滅の危機に瀕しているのです。原因は様々ですが、人間の都合による乱開発や環境破壊、商売のための密猟や乱獲が原因とされることも多いのです。人間の欲求や便利さを満たすため、動物の生きる場所がどんどん狭くなっています。そのために、野生の猿が人の住むところまで降りてきてやっかいがられたり、ブームで飼った外来の生き物を育てられず捨てて、人を怪我させたり生態系を脅かすことで要注意外来生物とされる。これらは、人間が生き物係としての責任を果たしていないからでしょう。
  わたしたちは、今日の聖書箇所でいう生き物のうち「地の獣」に出会うとするなら動物園くらいでしょう。それら動物たちが狭い檻の中にいるのは、来園者が安全に見ることができるためです。わたしたちが直接触れることはありませんが、獣医さんや飼育係のように直接触れる人たちもいます。その人たちは、創世記で神さまが委ねられたように、生き物を支配し、管理するお仕事をしているのだと言っていい。神さまは、動物園で働く人たちのような生き物係の務めを、人間に与えられたのです。

イエスさまこそ、いきものがかり
  人間の罪のために、人間同士、そして動物たちの間にも隔てが出来てきましたが、本当の平和は動物たちとの共存という姿であらわされることが、イザヤ書116節以下に示されます。「狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。」地の獣と家畜が共存し、子どもが生き物をこわがらず、地を這う生き物の中で最も危険な毒蛇とさえ幼児が遊ぶ。以前に、ライオンとしまうまが抱き合うシーンのCMが放送されていましたが、そのCMのフレーズにあった「こんな平和、見たことない」というような平和の姿です。イザヤ書11章というのは、平和の主として来られるイエス・キリストの預言です。イエスさまによって、わたしたちが見たこともない平和が訪れるというのです。
  では、現実はどうだったでしょう。イエスさまがどこでお生まれになったか、ルカによる福音書は、宿屋に泊る場所がなく、乳飲み子は飼い葉桶に寝かせられたと告げています。イエスさまは、家畜と一緒に、動物たちの中で生まれたのです。やがて成人されたイエスさまは、ヨハネから洗礼を受けられた後、荒れ野で40日間の誘惑を受けられます。このとき、マルコによる福音書113節によれば、「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」というのです。イザヤが預言したのは、この光景です。イエスさまが支配されるところでは、わたしたちが見たこともない平和に満たされるのです。
  わたしたち人間は、神さまの思いに応えることができず、生き物との溝を広げてしまっています。しかし、神さまが「支配せよ」と言われたのは、人間の好き勝手な支配ではなく、イエスさまご自身が示されたように、神さまの恵みの賜物である生き物たちとの平和を満たすような支配です。イエスさまは、平和を実現される王として、「世の罪を取り除く神の小羊」として、ご自身の体を献げられました。ここで、動物を犠牲とする礼拝の時代は終わったのです。イエスさまは、天地創造のときのような、人間と生き物たちが共に生きる世界を回復されるのです。それは、神の国が完成された時のかたちでもあるのです。

 

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