礼拝説教要旨


2011年8月21日
世の初めの物語(20) 「神さまの約束」 田口博之牧師
創世記6章5節~22節



神さまの物語

今年の夏期学校は、創世記第6章より始まるノアの箱舟の物語をテーマに学びます。今日の礼拝は、夏期学校の開校礼拝ということではありませんが、ノアの箱舟の物語の前半というか序の部分、創世記第6章の御言葉に聞くことにします。

さて、「ノアの箱舟」の物語という言い方をしていますが、別の言い方をすれば「大洪水」のお話しです。今回の夏期学校は、天気が心配です。もしかすると三日間すべて雨かもしれません。しかし、ノアさんの時にはもっとひどかった。四十日四十夜、地上に雨が降り続いたのです。それもシトシト降り続けたのではありません。バケツの水をひっくり返したようなものすごい雨が全地に、しかも一時のことではなく想定外の雨が降り続いたのです。すると、地上の全てが水で覆われてしまい、ノアの作った箱舟に乗り込んだ以外の人間も、動物も、全ての生き物が死んでしいました。

今朝の礼拝でまず考えてみたいことは、この物語の主役は誰なのか?ということです。今日は6章9節から読み始めましたが、9節に「これはノアの物語である。」とあります。「ノアの物語」と言うのですから、主役は誰でしょうか?・・・ノアさんだ、そう思うのが普通です。ところが、そうではありません。この物語の主役はノアでなく、神さまです。洪水を起こさせたのは神さまであり、箱舟を作らせたのも神さまだからです。

 

後悔される神

次に問題となるのは、神さまが主役であるならば、なぜこんな洪水を起こしたのか、ということです。「ちょっと、ひどすぎるじゃないですか」という気持ちになるでしょう。

そのことを理解には、この物語の前提となる6章5節以下を読んでおく必要があります。「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」とあります。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1章31節)と呼ばれていたのに、人間が神さまに背いて罪を犯したことによって、人間だけでなく、神さまはすべての生き物を造ったことを後悔されたのです。

それにしても、神さまが後悔すると聞いてどう思われるでしょうか。全能の神ならば、後悔しないような造り方をすればよかったのに、後悔するなんて、全能の神ではない、そのように思います。しかし、神さまはそれほどまでに、わたしたちと真剣に関わってくださるのです。神さまは、後悔なんかされないのではなくて、後悔することも、心を痛めることもできるほどに全能なのです。

わたしたちの後悔は、もう取り返すことができないと、後ろだけを見て落ち込むしかないのですが、神さまの後悔は、180度前に向きを変えて、新しいことをなすのです。その結果、人間を造ったことを後悔された神さまは、人間を地上からぬぐい去ることを決意されました。そのようにして起ったのが大洪水です。ノアの物語における大洪水は、人間の罪に対する神の審きとして起ったのです。

 

ノアの選び

ところがこの物語は、神さまの審きの物語でありながら、救いの物語として語られています。そこで登場するのがノアでした。8節に「しかし、ノアは主の好意を得た」とあります。9節では、ノアは「神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」と言われています。罪に満ちた人間たちの中で、神さまに忠実に従ったノアを、神さまは選び箱舟を造らせて、洪水の審きから救って下さったのです。

それでは、ノアは無垢で正しかったから救われたのでしょうか。神さまはノアに、「箱舟の長さを300アンマ、幅を50アンマ、高さを30アンマにし、」(15節)と箱舟を造るようお命じになります。1アンマとは、ひじから指先までの長さ約45センチのようです。そう計算すると、この箱舟は、長さ135メートル、幅22.5メートル、高さ13.5メートルとなります。大型タンカーくらいのとても大きな舟です。いったいどれだけの材料が必要で、どれだけの手間がかかったでしょうか。

しかもこの船は、洪水が起こらなければ、全く意味のない巨大な箱でしかないのです。周りの人たちは、ノアが大きな箱の舟を一生懸命に造っているのを見て、「いったい何を考えているのか」と、馬鹿にしたと思います。それでも、神さまの言葉を信じて、神さまが命じられたとおりに、箱舟を造ったのです。

そして、22節にあるように「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。」のです。ノアが「神に従う無垢な人であった」ことが、ここにあらわされています。信仰の偉人列伝と呼ばれるヘブライ人への手紙の11章においても、ノアのこの行為をよき信仰として受け止め、「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。」(ヘブライ117)と伝えます。ノアが選ばれたのは、正しく立派な人だったからではありません。神さまの約束をただ信じて歩む人であったからこそ選ばれたのです。

 

箱舟の中へ

 神さまの約束を信じ、御言葉に従って歩むノアの姿は、わたしたちのお手本です。ノアは箱舟を造りましたが、教会もまた、船にたとえられます。ガリラヤ湖で弟子たちが嵐の中をこぎ悩んだように、わたしたち教会の歩みも順風満帆というわけにはいきません。けれども、その船にはイエスさまが共にいてくださいますから、慌てることはないのです。ノアの造った箱舟にも、神さまが共にいてくださいました。神さまの約束を信じて、御言葉に従って歩むところに、神さまはいつも共にいてくださることを信じましょう。

神さまは正しい方であるがゆえに、審きは必ず行われます。人間が堕落していたから、滅ぼそうとされたように、イエスさまはわたしたちの罪を背負って、十字架に身代わりとなって審かれました。審きと救いが、同時に行われていることにおいて、ノアの箱舟の物語は、イエス・キリストの十字架を指し示していると言うことができます。

わたしはあなたと契約を立てる。」とおっしゃった神さまは、ノアたちを箱舟の中へと導き救ってくださいました。神さまは審きの中から、新しい歩みを与えて下さるのです。

 

礼拝説教要旨のページへ