礼拝説教要旨


2011年9月25日
世の初めの物語(21) 「箱舟の内と外」 田口博之牧師
創世記7章1節~8章5節



洪水が押し寄せ

先月の合同礼拝は、夏期学校の最初の日、午後からは付知教会に向かう日曜の朝に献げました。今日のような秋晴れでなく大雨でした。付知でも雨が多くて、楽しみにしていた川遊びができませんでした。先週も台風15号の影響で、火曜日を中心にこの地域でも大雨が降り大きな被害が出ました。3月11日の東日本大震災で被災した東北の町では、仮設住宅に入ってこれからやり直そうと思っていた矢先、川が決壊して家の中に水が入ってきてしまった。海津波の次は山津波が来た!とおっしゃった方の悲しい叫びを聞きました。

それにしても、一日か二日、すごい雨が降り続くと、今回のような大きな被害をもたらす洪水が起こります。では、ノアの時の洪水はどうだったでしょうか。7章12節には「雨が四十日四十夜地上に降り続いた」とあり、17節では「洪水は四十日間地上を覆った。」とあります。すごい量の雨です。雨ばかりではなく、地下にある水も溢れかえり、山々を覆うほどの勢いでした。その結果、「地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものの人も、ことごとく息絶えた。乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。」(2123節)と、徹底した神の審きが強調されています。

 

創造前のごとく

しかし、神さまは罰を与え、懲らしめることを目的に洪水を起こしたのではありません。ご自身が創造され、命の息を与えられた人間を滅ぼしてしまうのですから、神さまがいちばん、心を痛められていたのです。

この洪水の出来事は、天地創造の逆転であったことに気付かされます。7章10節に「七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。」とありますが、この七日というのは、天地創造の七日間の巻き戻しと言えます。11節後半「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。」という御言葉から、創世記1章2節「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」を思い起こします。天地創造のみ業が行われる前は、闇に覆われた深い淵、水が全面を覆っていたのです。そこに「光あれ」という神の御声が響くところから天地創造の業が始まりました。

そして、創造の二日目には「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」という神さまの言葉によって「大空」が造られ、大空の上と大空の下に水が分けられました。さらに第三の日には、大空の下の水が集められて、乾いた所が現れたことが語られています。水に覆われたままでは人間が生きることはできないから、海と陸地が分けられたのです。ですから、ノアの時代に洪水が起きて、人間が生活する場である地上が水に覆われたということは、神さまの思いは、天地創造の前の状態に戻すことにあったのです。

しかし、神さまはすべてを無しにしようとしたのではありません。何もかも無くなったと思えることの中から、ご自身が創造された世界を導かれる担い手としてノアを選ばれました。ノアに命じて箱舟を造らせた神さまは、ノアとその家族を守られるのです。そして、いよいよ洪水が起こり水が地の上にみなぎったとき、ノアは妻子や嫁たちと共に箱舟に入ります。そして、神さまから命じられていたとおりに、清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものすべて、二つずつ雄と雌を箱舟に入れたのです。

 

残すために

16節「主はノアのうしろで戸を閉ざされた。」とあります。この言葉だけを聞くと、ノアがもう箱舟から出られないように閉じ込めたと聞こえるかもしれません。ところがそうではなく、神さまがノアたちを守るためだったのです。

ちいろば先生の名で知られる榎本保郎先生も、『旧約聖書一日一章』という本のなかで、7章16節に注目してこう言います。「もし主がノアのために後ろの戸を閉じたまわなかったら、おそらく箱舟の単調さに、あるいはわずらわしさ、窮屈さに耐えかねて、ノアは外に出て、せっかくの救いの恵みから転落したのではなかろうか。閉じ込められていたがゆえに、彼はまる一年もの長い間、二ひきずつ集められた生き物と共に箱舟にとどまることができたのであり、神の約束を受けることができたのである。」と。

この洪水は、7章の終わり(24)では、「水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。」程でしたが、8章は「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。また深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、水は地上からひいて行った。」という言葉で始まります。「深淵の源と天の窓が閉じられた」という言葉は、天地創造の秩序が回復し始めたことを示します。水は減って山々の頂が姿を現しました。箱舟に入れられて救われた者たちは、神様が再び与えて下さる新しい世界を生きて行くのです。

その新しい世界の担い手として選ばれたのがノアでした。「ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。(723)とあるとおりです。「残った」ということは、「救われた」ということですが、聖書の考え方では「残りの者として選ばれた」という意味になります。神さまが洪水後の世界を担うために、ノアたちを残されたのです。残された者には、新しい使命が与えられるのです。

 

新しい時代の担い手として

夏期学校で『つなみ』という、被災地のこども80人の書いた作文集を紹介しました。CSの子どもたちも感じ取ったことがあるようです。夏期学校の間に、一生懸命に読んでいる子がいました。

釜石市の小学校5年生(地震当時4年生)黒澤海斗くんの書いた「いっしゅんのできごと」という題の作文を紹介します。

「三月十一日 十四時四十六分、東日本大震災が発生した。いっしゅんにして、多くの物と命をのみこんだ。

ぼくの家も学校も町も・・・。近所の、とてもぼくをかわいがってくれた、おじいちゃんおばあちゃんたちの命も、そして、宮古のしえん学校に通っていたお兄ちゃんとも会えなくなった。

・・・(中略)・・・

これから、宮古市で生活することになった。転校してしまうけれど、この震災でいろいろな人に出会い、勇気をもらったから、どこでも、しっかり生きていけると思う。そして大きくなって、大人になった時、人を助けることのできるりっぱな大人になり、お世話になった人達に、りっぱになったぼくの姿を見せたいと思います。

最後に、助けてくれた、たくさんの人達に 「お世話になったこと一生忘れません。本当にありがとうございました。」

海斗くんに限らず、助かった子どもたちはとても前向きに、感謝に満ちて生きています。「みんなでがんばろう。」と文章を結んだ子どもはもとても多いです。でも、作文なんか書きたくなかった子もきっといると思います。気持ちを十分に伝えられない子もいたでしょう。あるいは、書くことで自分の気持ちを整理していった子もいたでしょう。

東日本大震災での地震・津波や今年の夏の台風の被害を、ノアの洪水の話の文脈で捉える必要はありません。しかし、80人の子どもたちの作文を読んでいると、自分の親、兄弟、身内、友達、たくさんの人が死んでしまった現実の中で、自分たちが生き残ったことの意味をしっかりと見つめながら、生きていこうとしていることが分かります。被災地の子どもたちが「残りの者」として、大震災後の新しい時代の担い手として生きていけるように祈ります。被災地にある教会が、箱舟としての役割を果たしながら、地域に仕えていくことができますように。教会で始めている献金も、被災地の人たちに心を寄せつつ、さらに祈りをもって進めていくことができますように。 

主の御名によって、アーメン。

 

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