礼拝説教要旨
2012年9月23日
アブラハム物語(4)
「人生の決断を導かれる神」 田口博之牧師
創世記13章1節~18節
①財産を得たことで
創世記13章は、「アブラムは、妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。ロトも一緒であった。アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。」(1-2節)と始まります。アブラムはエジプトで妻サライを妹と偽りましたが、そのことのゆえに幸いを受けました。エジプトで手にした多くの家畜や財産を持ったまま、約束の地へ戻ることができたのです。とても不思議な気がします。
しかし、偽って手にした財産によって、アブラムは必ずしも祝福を得たのではなかったのです。「ロトも一緒であった」とありますが、アブラムとロトはカルデアのウルを出たときからずっと一緒でした。二人は伯父と甥の関係でしたが、11章27節以下によれば、ロトは若くして父親を失っています。アブラムには子どもがいませんでしたので、実の親子のように生きてきたのです。
仲むつまじく生きてきた二人でしたが、アブラムと同じようにロトもエジプトで財産を得たことによって、大きな変化が起こりました。「その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。」(6-7節)とあります。彼らは財産が増えたことによって、一緒に旅ができる状況ではなくなったのです。
②アブラムの提案
すると、アブラムはロトに一つの提案をします。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」(8-9節)。
アブラムは、ここで別れることを提案すると共に、どちらに行くかという選択権をロトに与えました。アブラムが年長なのですから、選ぶ権利は自分にあったのです。そのほうが自然なことでしたが、ロトによい方を選ばせようとしています。
ロトは、ヨルダン川流域の低地地方を選びました。そこは、「主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。」(10節)とあります。ソドムとゴモラの退廃と滅亡を知る者にとっては、ロトの決断は失敗であったように思いますが、ロトが選んだ地は本当に豊かに見えたのです。「主の園」のようにとは、エデンの園のように、ということでしょう。
アブラムは、「あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」の言葉どおり、反対の山側に向かうことになります。日本の緑豊かな山々とは異なり、草木も生えない赤茶けた山々が広がっています。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。」(14-16節)という主の言葉がアブラムにのぞみます。
溢れんばかりの祝福を約束した言葉ですけれども、アブラムはどのように聞いたでしょうか。現実に数えきれない砂粒が舞っているのが見えたと思うのです。というより、砂山しか見えない。「さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」(17節)と呼びかけられても、歩き回れるものではない、そのように感じたとしても不思議ではなかったのではないでしょうか。
③礼拝するため帰ってくる
振り返って、エジプトから戻ってからのアブラムの歩みはどうだったでしょう。3-4節に、「ネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。」とあります。アブラムは、カナンの地に入ってからエジプトに至るまでの逆ルートをここで辿っているのです。
かつて「あなたの子孫にこの土地を与える。」と言われたとき、アブラムは、主のために祭壇を築きました。移り住む先々で祭壇を築き、主の御名を呼んだのです。(12章7-8節)自分の力では生きていけない、主の助けをいただかなくてはと思ったから、礼拝したのです。エジプトで一度も祭壇を築かなかったのは、悪知恵を働かせて多くの財産を手にしたからです。上手くいっていたので、主を礼拝する必要を思わなかったのです。主はそのようなアブラムを放っておかれませんでした。
アブラムもそのことが分かり、悔い改めたのです。だから財産の保全など全く考えることなく、寄り道することもなく、最初に主の御名を呼んだ場所に向かい、そこで礼拝したのです。ロトと別れることを決断したのも、主の御声を聞いてのことだったでしょう。ロトが選んだのとは逆の方向へ自分が向かうことも、それが主の示された道であることを信じて進んだのです。その道がどれほど厳しくとも、これからの歩みを主に委ねようとしたのです。
そして、「アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。」(18節)のです。ほんの小さな土地ですけれども、やがてここは、アブラムと子孫にとって重要な土地となります。神様が大いなる約束を実現してくださる初めの地点へと導かれたのです。
わたしたちもアブラムと同じ旅人です。一週間を様々な場所で生きて行きます。アブラムがエジプトにいたときのように、主を忘れてしまっていることがあるかもしれません。でも、そんなわたしたちでも、神さまは導いていてくださいます。アブラムが礼拝を始めたところに帰ってきたように、わたしたちも礼拝から礼拝へと七日の旅路を続けるのです。わたしたちが、ここで主を礼拝することによって、この教会もまた祝福の源とされてゆくのです。