礼拝説教要旨


2012年10月21日
アブラハム物語() 「約束の前進」 田口博之牧師
創世記14章1節~24節



戦うアブラハム

アブラハム物語の5回目は創世記第14章ですけれども、この章はここまでの流れとは異質です。前半では、メソポタミア地方にある四人の王たちの同盟軍と、今日のヨルダンからパレスチナの南部にある五人の王たちの同盟軍との戦争が語られているからです。後者の五人の王の国々は、十二年間、エラムの王ケドルラオメルに支配されていましたが、十三年目に同盟を結んで反乱を起します。しかし、シディムの谷の戦いにおいて五人の王たちの軍勢は敗れ敗走しました。

その結果、「ソドムとゴモラの財産や食糧はすべて奪い去られ、ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトも、財産もろとも連れ去られた。」(1411-12)のです。アブラムは、ロトを連れ戻すためマムレと兄弟たちと同盟を結びます。そして、訓練されたもの318人を動員して侵略者を追撃し、ロトとその一族、財産のすべてを取り戻しました。

アブラハム物語が愛される理由の一つに、他の旧約聖書の物語のように、戦いが出てこないことにあります。ロトと別れたことも無用な争いを避けるためでした。しかし、ここで描かれているアブラムの姿は、族長というよりも後の時代の士師のようです。

破竹の勢いでカナンの地に入ってきた四人の王たちの軍勢に対して、アブラムはたかだか318人で立ち向かいました。この世の常識からすれば無謀な戦いでしたが、何と無傷で勝利したのです。それは、神さまの恵みの奇跡以外の何ものでもありません。アブラムは、神さまの守りと助けによって、ロトとその一族と、略奪された財産をも取り返すことができたのです。

 

メルキゼデクの祝福

さて、アブラムが戦いに勝利し帰還した時、二人の王がアブラムを出迎えます。一人はソドムの王、もう一人はサレムの王、メルキゼデクです。ソドムの王については、ロトが住んでいた国の王ですので、アブラムを出迎えた理由は分かります。ここで注目すべきは、もう一人の王、メルキゼデクです。いと高き神の祭司と呼ばれるメルキゼデクは、聖書の中で最も謎に満ちた人物と言っていい人です。新約聖書ヘブライ人への手紙では、メルキゼデクをイエス・キリストの予型として位置づけているほどです。メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来てアブラムを祝福します。「天地の造り主、いと高き神にアブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡されたいと高き神がたたえられますように」。(1920節)するとアブラムは、すべての物の十分の一をメルキゼデクに贈ります。

アブラムは戦いに勝利しました。オリンピックのメダリストたちが、銀座をパレードし、何十万人という人の祝福を受けたように、いつの時代でも、勝って帰ってきた者は祝福を受けます。その時の祝福は、勝った人の手柄をたたえるためのものですが、メルキゼデクはアブラムの手柄をたたえたのではなく、神の祝福を授けたのです。

礼拝の最後に祝祷をします。言葉通り捉えれば、祝福の祈りということですけれども、むしろ神の祝福の宣言と言ったほうが正しいでしょう。それは何も、牧師自身に祝福を告げる特別な力があるということではありません。牧師は祝福を告げるために神によって立てられているのです。礼拝する民は、この神の祝福のもとに1週間を生きていくことを信じて出てゆくのです。わたしたちの周りで、もう何年も礼拝から離れているという人でも、最後に受けたのは祝福なのです。

メルキゼデクは、アブラムに神の祝福を告げた後で、「敵をあなたの手に渡されたいと高き神がたたえられますように」と言います。祝福を与える神は、賛美されるお方です。わたしたちが神を賛美するのは、ただ讃美歌を歌うことではありません。神の祝福に生かされている者が、信仰の応答として神に祝福をお返しする、それが賛美なのです。そのようにして、神の栄光が輝きを増していくのです。

 

まことの自由

 メルキゼデクから神の祝福を与えられた後のことです。アブラムはソドムの王に「あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。」(1423)と言いました。これは、神さまの祝福を知った者だけが言える言葉です。ソドムの王は「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください」(1421)と提案していました。財産は取ってもよいが人は返してくれ、とは虫のよすぎる言葉です。

ところがアブラムは、戦利品のすべてをソドムの王に返してしまうのです。それは、恩に着せられるのは嫌だというようなことではなく、自分は「天地の造り主、いと高き神、主」(1422)の祝福によってのみ生かされているとアブラムが確信しているからです。この信仰に立つところでは、この世の力におもねることも、富を頼りとすることもなく、神の祝福を励みとし、神のみを信頼して生きる。ここにこそ、この世の富や力に捕らわれない本当に自由な生き方があります。

 そして、ここにおいて、アブラムが旅立ちのところで与えられた神の約束を思い起こしたいのです。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」(122-3)。

この約束が実現するためには、先ずアブラム自身が、神さまの祝福を受けなければならなかったのです。祝福を受けていない者が、祝福の源となることはできないからです。メルキゼデクが告げた祝福によって、アブラムに与えられた祝福の約束が、実現に向かって大きく踏み出してゆくことになるのです。

 

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